カータカ・ウパニシャッド 第1篇第3章 第14節
उत्तिष्ठत जाग्रत
प्राप्य वरान्निबोधत ।
क्षुरस्य धारा निशिता दुरत्यया
दुर्गं पथस्तत्कवयो वदन्ति ॥ १.३.१४॥
uttiṣṭhata jāgrata
prāpya varānnibodhata |
kṣurasya dhārā niśitā duratyayā
durgaṃ pathastatkavayo vadanti || 1.3.14||
立ち上がれ、目覚めよ。
優れた師たちに近づき、真理を悟れ。
剃刀の刃は鋭くして渡り難し。
その道は険しい、と詩聖たちは語る。
逐語訳:
उत्तिष्ठत (uttiṣṭhata) - 立ち上がれ。(ut-√sthā「立つ」の命令法2人称複数)
जाग्रत (jāgrata) - 目覚めよ。(√जागृ jāgṛ「目覚める」の命令法2人称複数)
प्राप्य (prāpya) - 到達して、近づいて。(pra-√āp「到達する」の絶対分詞)
वरान् (varān) - 優れた師たちを、最良の導師たちを。(vara「優れた」、男性複数対格)
निबोधत (nibodhata) - 理解せよ、悟れ。(ni-√budh「理解する」の命令法2人称複数)
क्षुरस्य (kṣurasya) - 剃刀の。(kṣura、男性単数属格)
धारा (dhārā) - 刃。(女性単数主格)
निशिता (niśitā) - 鋭く研ぎ澄まされた。(niśita、女性単数主格)
दुरत्यया (duratyayā) - 渡り難い、越え難い。(dur-atyayā、女性単数主格)
दुर्गं (durgaṃ) - 困難な、険しい。(durga、中性単数主格/対格)
पथः (pathaḥ) - 道。(pathin「道」。詩語的な用法で、文脈上「道は」と主格的に解釈される)
तत् (tat) - その(ように)。(指示代名詞、副詞的に解釈される)
कवयः (kavayaḥ) - 詩聖たち、賢者たち。(kavi、男性複数主格)
वदन्ति (vadanti) - 語る。(√वद् vad「語る」の現在法3人称複数)
解説:
前節までの静謐な内観の教えから一転し、この詩節は読者の魂を直接揺さぶる、雷鳴のような呼びかけで始まります。ウパニシャッドの中でも最も有名で、力強いメッセージの一つであり、哲学的な教えが、いかに実践的な行動へと結びつくべきかを示しています。
詩の前半は、三つの力強い命令で構成されています。「立ち上がれ(उत्तिष्ठत, uttiṣṭhata)、目覚めよ(जाग्रत, jāgrata)」。これは、霊的な無関心や怠惰という深い眠りから奮い立ち、現象世界を夢のように生きる無明の状態から覚醒せよ、という魂への檄です。それは、真理の探求が単なる知的好奇心ではなく、自己の存在そのものを変容させるための、決然とした意志から始まることを教えています。
続く「優れた師たちに近づき、真理を悟れ(प्राप्य वरान्निबोधत, prāpya varānnibodhata)」という言葉は、この覚醒した探求心をどこへ向けるべきかを明確に指し示します。ここでいうवरान् (varān)、すなわち「優れた師たち」とは、単に博識な学者ではなく、自らが真理を体得し、その智慧の光で弟子を導くことのできる真のグル(霊的導師)を指します。ウパニシャッドの叡智は、書物からだけでは得られません。それは、師から弟子へと直接手渡される生きた炎(गुरु-परम्परा, guru-paramparā)なのです。この道が独りでは歩み難いことを認め、謙虚に導きを求めることの重要性が、ここに込められています。
詩の後半は、この道のりが持つ本質を、鮮烈な比喩で描き出します。「剃刀の刃は鋭くして渡り難し(क्षुरस्य धारा निशिता दुरत्यया, kṣurasya dhārā niśitā duratyayā)」。この「剃刀の刃の道」という比喩は、後世の多くの思想家や求道者にインスピレーションを与えてきました。この道は、二つの意味で険しいのです。第一に、それは極めて「細い」道です。世俗の価値観が示す富や快楽への道は広く平坦ですが、内なる真我へと至る道は、常に一点に集中する注意力(एकाग्रता, ekāgratā)がなければ踏み外してしまうほど微細です。第二に、それは「鋭い」道です。この道を進む者は、剃刀のような鋭利な識別知(विवेक, viveka)をもって、自我への執着、過去への後悔、未来への不安といった、自らを縛る一切のものを断ち切らねばなりません。
最後に、この道の険しさは、いにしえの「詩聖たち(कवयः, kavayaḥ)」によって語り継がれてきた真実であると締めくくられます。कवि (kavi)とは、直観によって真理を観じ、それを詩的な言葉で表現する賢者のことです。彼らがこの道の困難さを語るのは、求道者を脅すためではありません。むしろ、それは深い慈愛から発せられる警告であり、この崇高な旅に挑む者に対して、相応の覚悟と真摯さを求める励ましの言葉なのです。この厳しくも美しい警告は、真理への道が安易な精神的慰めではなく、全存在を懸けた挑戦であることを、時代を超えて私たちに告げています。
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